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神農架の自然
人間は世界中何処に行ってもお国自慢をするようで、福島県人なら外から来たお客さんに裏磐梯や尾瀬を是非見せたいと思う人が少なくないでしょうが、中国湖北省の人、特に林業関係者は私達に「神農架を是非見て欲しい。」と言いますし、一般市民の多くの人たちも「一生に一度で良いから神農架に行ってみたい」と思っているようです。
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幸いにも、私は神農架に平成7年7月(夏)、平成8年3月(冬)および平成9年9月(秋)の三回訪れることが出来ました。
神農架は湖北省の西方で四川省と接する所ににあります。神農架を有名にしているのは中国の自然が数多く残されており、自然保護の象徴的エリアであると共に、世界の四大謎の一つとされている「野人」が最近においてもしばしば目撃され、新聞でも報道されることにあります。
(その他の謎としてUFO、バミューダの三角形、ネス湖の恐竜が上げられている。)
「野人」のことは後で述べることにして、湖北省の自然保護について少しお話ししたいと思います。
中国は広大な面積を持っていますが、人口の割に耕地面積が少なく、国民の生活を維持するため農業生産の向上が極めて重要であり、かなり厳しい条件の山地をも開墾しなければなりません。しかし、最近は森林の持つ水土保全機能の重要性や動植物の遺伝資源の重要性が認識され、各地に厳しい法的規制により守られた自然保護区が指定されるようになりました。
湖北省での自然保護区設定計画は1960年に神農架の保存活動始まり、1980年には8箇所の自然保護区と1箇所の自然保護点が設けられました。
自然保護区の総面積は8万9千haで、湖北省の面積の約0.4%に当たるそうです。
この内、特に神農架保護区は国指定の保護区で、管理は湖北省が行っています。
神農架林区は総面積は32万ha有りますがその内の7万1千haが自然保護区になっています。
神農架林区の植物の種類は豊富で、亜熱帯植物から寒温帯植物までが見られます。森林は主に暖温帯と温帯の物からなる針葉樹、広葉樹、或いは混交林の原生林であります。
神農架林区の森林面積は16万haですから、森林被服率は50%に過ぎず、森林の豊富な日本と比べると、鬱蒼たる森林の割合は少ないようです。
しかし、概況調査によると維管束植物(顕花植物とシダ植物)だけでも166科、765属、1,819種と多く、当地域は「緑色宝庫」と言われています。
これらの植物の中には1科1種のものや、1属1種のもの、或いは「生ける化石」と呼ばれるものも少なくないそうです。
希少樹主として麦吊杉、水青樹、香果樹、芬桐、洪桐(ハンカチノキ)、連香樹(カツラ)、鉄堅杉(ユサン)、毛来(ケミズキ)、領春木、金銭槭等があげられるそうですが日本では全く知られていない(当然日本の名の無い)ものが沢山あります。
野生動物も豊富で130種以上観察されており、国家重点保護動物として、孫悟空のモデルとして有名な金糸猴(キンシコウ:体長六五a。和名はチベットコバナテングザル)を始め毛冠鹿、金銭豹、華南虎、麝香鹿(ジャコウジカ)、白寇尾長雉(ハクコウオナガキジ)、紅腹角雉(アカハラジュケイ)、蘇門カモシカ、等が生息しているそうです。また、この地方には白化型動物、例えば白鹿、白熊、白麝香鹿、白金糸猴等特異な形態の動物が多く生息しています。
自然保護区にはいるためにはかなり厳しい制限があるようで、当時、私達外国人が入るためには事前に湖北省林業庁の許可が必要ですし、入場に際し、パスポートや居留証の厳しいチェックをうけなければなりませんでした。
神農架の主峰の大神農架の標高は3,105mですが、車で3,000m付近まで行けます。この地方の緯度が低いためか森林(植生)の状況は福島県の1,700m付近のものに相当するように思えます。しかし、さすがに高海抜だけあって少し動くと息が切れます。
原生林の主な樹種は中腹で華山松(タカネゴヨウ)、山頂付近で冷杉(神農架モミ)となっています。
木魚坪という町に神農架林の自然保護管理局事務所があります。ここには神農架で収集された動植物の展示館がありますが、学校の教室のような部屋に雑然と並べられており、決して保存状態が良いとは言えません。局長さんも大変気にしていて、「予算が無くて。是非日本の援助をお願いしたい。」と言っていました。
神農架にも名所と呼ばれる所が沢山あります。例えば、神農架林区に入って間もなくの所に立っている大木「千年(鉄堅)杉」、神農山頂部の展望台、岩燕の洞窟、板壁岩石林、金糸猴嶺の原生林等々。
最近、林区内の各所で観光施設の整備が盛んに行われています。最初に行ったときと二年経った三回目のときの状況では大分様変わりしていました。
木魚坪には素晴らしいホテルが出来ていましたし、保護区内の大龍潭という所にはレストラン、金糸猴園、野人の館(野人博物館)が完成、開業していました。
また、「千年杉」を最初に訪れたときにはこの周囲にはなにもなく自由に出入りが出来たのですが、三度目に訪れたときにはこの隣りに何やら観光施設を建設中で、まだなにも出来ていないのにゲートだけはしっかり出来ており、木を見ただけで入場料はしっかり取られるしまつです。
今度行くときは、もっともっと変わっていることでしょう。
神農架の「野人」

「野人がでるぞ〜!」 |
先ほど大龍潭という所に「野人の館」が出来たと申しました。
広辞苑で「野人」という言葉を引くと「田舎者、民間の人、粗野な人、未開の人」等となっていますが、ここで言う「野人」とはヒマラヤの「雪男」を含む猿人に近い生物のようです。
神農架にもこの「野人」が住んでいると言うのです。しかも神農架が野人のメッカだそうです。
この「野人」は「雪男」と違って、目撃者の数が極めて多く、存在の証拠となる品、即ち、足跡、体毛等も数多く収集されてます。
中国人の多くの人は野人の存在に否定的ですが、存在を信じ真剣に研究している人もいます。
「野人の館」には野人博物館が建てられ野人に関するいろいろな品(足跡、体毛など)や目撃者の証言を基にした図入りのパネル等が展示されています。ここで私は「野人―神農架からの報告(杜永林編著)」と言う一冊の本を手に入れることが出来ました。
この本によると、神農架でこれまで360人以上の人が138人?の野人を目撃しており、目撃者の内訳は農民170人以上、林業従事者60人以上、技術者・会計士・医者・地方公務員幹部等60人以上、解放軍兵士30人以上、国民党兵士30人であり、二人以上の人が同時に目撃したのは54回、その内5人以上は17回、30人以上が同時に目撃したのは2回あったそうです。
この本には目撃者のインタビューが幾つか載っていますが、この中から1965年に林業従事者の謝克応さんが赤毛の野人に会った時の話しを紹介しましょう。
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問 |
「それは四つ足だった?それとも立って歩いていた?」 |
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謝 |
「当然立って歩いていたさ。」
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問 |
「身長は?毛はどんな色だった?」 |
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謝 |
「1m50cm位、赤かったよ。」
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問 |
「どんな様子だった?」 |
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謝 |
「わし等は下の方に向かっとった。そいつは向こうから上ってきて、わし等の左上の方に近寄ってきたんだが顔を見ることが出来なくてどうだったか分からなかった。でも、そいつの毛の色と立って歩いて行ったのははっきり見えたさ。」
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問 |
「どの位離れていたの?」 |
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謝 |
「4、50m位かな。そいつは山の向こうに向かって上って行ったのさ。」
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問 |
「その山は急なの?近くに農家はあるの?」 |
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謝 |
「高さは有るけどそれほど急ではないよ。あの辺りには農家はないね。山の向こうにわし等が野菜を買いに行く人家が一軒有るがね。」
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問 |
「その動物は大青猴だったんじゃない?・・・馬力猴とも言われる・・。」 |
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謝 |
「違うよ。馬力猴なら見たこと有る。背が低いし、毛はクリーム色だし、主に樹の上で生活して滅多に地上降りないさ。また立ってなんか歩かないさ。」
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問 |
「その時誰かにこの話しをしましたか?」 |
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謝 |
「その日家に帰ってからわし等は数人に話したさ。」
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最近では1984年4月に神農架林区管理局の会計士楊宏武さんと同僚の楊守金さんの二人が猴子石の道路上で目撃した話しや1993年9月に鉄道部大橋局の四人の職員が燕子峠で三人の野人に出会った話しが載っています。
さて、この話しの信憑性はさておき、私はこのようなロマンのある話しが大好きですし、実在していたらぜひ会ってみたいものです。
また、神農架が何時までもこんな話が「もっともらしく語られる環境」であり続けられること心から望む次第です。
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